2011年12月09日

平成23年天長節 皇居一般参賀と靖國神社参拝のご案内


 三島由紀夫研究会では、天長節 (天皇誕生日)の12月23日(金)に皇居一般参賀と靖國神社参拝を実施いたします。
 予定は下記の通りです。

集合日時
平成23年12月23日(金) 10:00
集合場所
JR有楽町駅 国際フォーラム口を出て改札前信号を渡った東京国際フォーラム前広場三島研スタッフが「三島由紀夫研究会」と書いた紙を提示しています。
予定
集合後、徒歩で皇居に向かいます。
正門から二重橋を渡って新宮殿前お庭へお出ましを待ち参賀。その後坂下門近くの記帳所にて記帳。徒歩で、皇居東御苑に向かいます。旧本丸跡や売店にある今上天皇が大嘗祭をされた大嘗宮の模型を見学。北桔梗門より退出、北の丸公園で旧近衛師団司令部(現国立近代美術館工芸館)の建物の外観を見学します(重要文化財)
北の丸公園、日本武道館を経由して田安門から退出。
靖國神社で昇殿参拝を行う予定です。
その後希望者で懇親会を兼ねたお祝いの昼食会を予定しています。
会費
靖國神社昇殿参拝玉串料としてお一人千円
懇親会
当日実費精算とさせていただきますが、三千円程度を予定しています。
お願い
靖國神社では昇殿参拝を行う予定ですので、ふさわしいお支度をお願いします。
参賀は雨天決行ですが、その後の予定は天候により変更することがあります。
当日は相当な距離を歩きますので、歩きやすい靴と充分な防寒対策でお出かけください。

事前のお申し込みは不要です。 ご自由にご参加ください。 また会員以外の参加、同伴も歓迎です。
ご不明な点は、yukokuki@mishima.xii.jpまでお問い合わせください。
posted by 三島研事務局 at 22:07| お知らせ

七回忌「早雪忌」


三浦重周(三島研究会元事務局長)の七回忌「早雪忌」
全国から70名近くが集合し、盛大に厳粛に故人を偲びました

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 12月3日正午から市ヶ谷の私学会館において、「早雪忌」が開催され、福岡、神戸、宝塚など全国から70名近くが参集した。
わけても新潟から三浦烈士の長兄が東京の祭祀には初めて参加され、「このように心温まる催しを、友情にみちた諸先生、諸兄が執り行ってきていただいたこと、まことに感謝に堪えず、冥界の弟も喜んでいると確信します。また菩提寺の住職によれば、お墓にだまって供花、線香、供物などいただき、恐縮の限り、弟の墓は花が絶えたことがありません」
 会は佐々木俊夫が司会し、国歌斉唱、黙祷のあと、井上正義、玉川三島研究会代表幹事が挨拶した。
 井上は三浦烈士の思想上の意義を述べた。
献杯のあと懇談に移り、思い出話や決意表明があった。

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 故人が好きだった会津の銘酒「栄川」と「久保田」など日本酒が大量にふりまわれたのも、三浦烈士は日本酒党だったからだ。
 追悼挨拶には作家の山平重樹(現在三浦重周伝記を執筆中)や後藤晋一より伝記の進捗具合の報告があった。また「一水会」の木村三浩、鈴木邦男両代表、維新政党「新風」の幹部にひきつづき、日本学生同盟の歴代委員長だった片瀬裕、山本しもん等も挨拶し、和やかな中にも清冽で厳粛な空気だった。閉会の辞は宮崎正弘がのべた。
  長兄は二次会にも参加され、また参会者全員に故人の出身地新潟県巻町のお米を土産に配った。

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発起人は下記の通り(五十音順、敬称略)。
淺岡敬史、浅野正美、安藤浩二、石渡寿哉、井上正義、井上喜美子、植田剛彦、上野晴夫、上野善久、小川正光、尾形香代子、片瀬裕、古賀俊昭、後藤尚二、後藤修一、後藤晋一、斎藤英俊、佐々木俊夫、柴田章雄、菅谷誠一郎、杉浦利重、鈴木秀寿、武田浩一、玉川博己、高柳光明、田村誠、富岡幸一郎、中西哲、馬場日出雄、平田隆太郎、平野寛明、比留間誠司、府越義博、南丘喜八郎、正木和美、松島一夫、宮川英之、宮崎正弘、山本之聞、山本徳造、吉野洋子
posted by 三島研事務局 at 22:02| 追悼

2011年12月08日

「真剣な生き方をした人」憂国忌で英ジャーナリスト

001.jpg 昭和45年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地で自決した作家、三島由紀夫の命日に開催される追悼会「憂国忌」。41回目の今年は東京・永田町の星陵会館で行われ、評論家の新保祐司さん(58)や石平さん(49)の講演の後、約400人の聴衆を前に、遠方からの客人が壇上に立った。生前の三島と親しく、自決当時は英紙「タイムズ」の東京支局長だったヘンリー・スコット=ストークスさん(73)。著書『三島由紀夫 生と死』(清流出版)は英語圏で広く読まれている三島の評伝だ。
 「一番思い出に残っているのは、銀座にある私のオフィスに彼が駆け込んできたときのこと」。45年3月、雪の富士山麓で行われた「楯の会」(三島が主宰した民兵組織)の野外訓練に記者としてただ一人同行し、その記事が掲載された直後だった。当時、楯の会は作家の酔狂なお遊びとして見られていたこともあり、三島は記事に感激してこう言ったという。「君が一番、僕のことを真剣に書いてくれた!」
 同年10月には、三島から手紙を受け取った。執筆中の小説を書き終えた時、世界が終わるような気がする−という記述で、何か恐ろしいことが起きる予感がしたという。「彼は本気で思い、発言したことを実行に移し、自ら犠牲になるのもいとわなかった。真剣な生き方をした人でした」と振り返った。
 一方、記念講演を行った新保さんは、東日本大震災で戦後日本の国のあり方が揺らいでいる現状に触れ、「その意味を日本人がどれだけ受け止められるかが重要だ。近代日本そのものへの問い直しが必要で、三島が行った(戦後日本への)根源的批判の意味はますます大きくなっている」と問いかけた。

(産経新聞 平成23年12月8日付、15面。磨井慎吾記者)
posted by 三島研事務局 at 08:07| 関連記事