2014年01月12日

森田必勝烈士、追悼シンポジウム開催

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 平成25年11月24日、四日市は快晴だった。
 四日市文化ホールには全国からおよそ200名の熱心な三島ファンならびに関係者など参加者が駆けつけ、遠くは北海道、関東からは団体で、そして関西方面からも列車やバスを乗り継いで、それぞれの熱い愛国心を秘めて、四日市へ馳せ参じた。
 「あの1970年代を駆け抜けた森田必勝の青春」と題するシンポジウムに参加するためである。

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 会は冒頭に森田必勝実兄の森田治氏(元三重県議会副議長)が挨拶。実弟の森田必勝の青春時代、中学、高校時代の人生への取り組みや、二年に亘った浪人時代の思い出を淡々と語った。その並々ならぬ決断力において初心を貫徹した人生を兄としてどうみるか、などを語り継いだ。故郷の四日市でこのような追悼の式典を実行することが長年の責務と感じてきたとも言われた。
 また父親が「必勝と、もうひとつ和平という名前を用意していたが、終戦間際のタイミングで生まれたので必勝にしたのだろう」とも語られた。

 引き続き宮崎正弘氏が講演し、遺稿集作成までの秘話を中心に森田必勝と三島由紀夫との出会い、学生運動時代の森田は「我が事において悔いず」がモットーであり、集会ではいつも「僕は国のために死にたいと思います」と明るくかたり、三島小隊第一回の体験入隊(一ヶ月、これは楯の会第一期生)から帰ると、オフィスでさらさらと「僕は三島先生のためにはいつでも命をかけます」と書いて速達で出したことなどを語った。
 「われわれは人生をいかにこれから生きるかで懊悩していたとき、かれは如何に死ぬかを考えていた」。
 また遺稿集は森田が残した十六冊の日記の重要部分の抜粋であり、資料的価値に溢れることなどが強調された。
 会場受付にはこの貴重な遺稿集がおかれ、たちまち全冊完売となった。

 引き続き鈴木邦男氏が講演し、森田との思い出や若松孝二監督作品の映画のこと、あれは森田事件ではなかったのか、などとした。
 学生運動には派閥抗争もあった。その中心人物のひとりでもあった鈴木氏は、森田のキリスト教の素養との関係も指摘した。
 
 会場には参加した、日本学生同盟初代委員長の斉藤英俊氏、楯の会同期生の山本之聞氏、武井宗行氏らが紹介され、また森田のあとの全日本学生国防会議議長、高柳光明、三島研究会代表幹事の玉川博己氏、評論家の中島岳志氏、三重県議の三谷哲央氏らが簡単なスピーチを行った。

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 なお三島研究会はシンポジウムに先立ち、近鉄四日市駅前に集合してチャーターバスで森田必勝実家の顕彰碑と銅像を見学後、ちかくの墓地へ集団で参拝した。
この墓参には30名近くが全国から駆けつけて焼香した。お墓はたくさんの花々で飾られた。

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posted by 三島研事務局 at 22:28| 追悼